目次
はじめに
ウルトラマン&怪獣手帳2025!!
毎日、その日に放送されたウルトラシリーズのエピソードについて記述されており、毎日、どんな怪獣が登場したのか楽しみながら日々を過ごすことができるウルトラマンガチ勢にはたまらない商品です。
私はこの商品のおかげで、挑戦しようと思うたびに長続きしなかった手帳を毎日書くことができるようになりました。
この手帳を想う存分楽しむために、手帳に記述されているウルトラマンシリーズのエピソードを毎日観ていくことにしたのですが、思いの外大変。
今回の記事も、公開日自体は1月26日に設定していますが、実際には2月10日に公開しています。
1年経つ頃には、いつ公開したかなんてどうでもよくなると思って、わざとそうしているのですが、一度遅れてしまうと挽回するのが大変です。
今の時点で15話分の遅れが出ているので、どこかで追いつきたいところです。
でないと、年末に観る予定のエピソードを2026年の1月中旬に観終わるみたいな事になって、1月の中頃に「今年もよろしくお願いします!!」なんて書く羽目になっては笑えないですからね。
ウルトラマンブレーザー第25話「地球を抱くものたち」
2024年1月20日に放送されたエピソードで、ウルトラマンブレーザーの最終回でもあります。
ブレーザーは1年前のウルトラマンなので、つまるところウルトラマンブレーザー最終回から1年が経ったというわけですが、丁度先日2025年1月18日にも現行放送中のウルトラマンアークが最終回を迎えました。
この時期はウルトラマンとのお別れの時期でもあります。
宇宙爆弾怪獣ヴァラロン(第2形態)
より強力になったヴァラロンです。トゲが増えたり、角が出たりして、ミミズみたいな無機質な顔に表情が出てきたような気がします。
今回は、地球に降りてきて街を破壊します。
尻尾で生成する爆弾を空中に放り投げてアースガロンを破壊しようとしますが、かなりの広範囲に衝撃が広がり、その様子はまるで核爆弾のようです。
月面で爆発しているときは対比物が無いのでよくわかりませんが、ビル街というわかりやすいものがあると威力のリアリティが急に実感できるものになるので、ヴァラロンが地球に降りてきた事の恐ろしさがよくわかりますね。
最後はブレーザーとアースガロンの猛攻撃に倒されるのですが、これまでのニュージェネウルトラマンにあったような怪獣を超越した特殊な存在ではない”純粋に強すぎる怪獣”というタイプのラスボスはとても魅力的だったと思います。
V99は根源的破滅招来体?
ブレーザー本編で長らく引っ張られてきたV99の正体が、新天地を探していた異星人であり、地球に対する攻撃の意思が無かったということが判明しますが、このV99周りの話は放送当時ワクワクした記憶があります。
ウルトラマンガイアの根源的破滅招来体を彷彿とさせる設定だったからです。
根源的破滅招来体とは、ウルトラマンガイア劇中における、宇宙のどこからか、何者かの意思によって送り込まれてくる宇宙怪獣の事です。
これが、ブレーザー本編におけるV99によく似ているんですよね。
ブレーザーの前々作トリガーと前作デッカーが、ティガとダイナを意識したシリーズだったのに、続くシリーズが令和のウルトラマンガイアではなかったはずなのに、V99が定義されたことで、実はブレーザーはガイアを意識したシリーズだったんじゃないか、と思いました。
これによって、劇場版ガイアの超時空の大決戦のようなかたちで、トリガー&デッカーと共闘する期待も生まれたわけです。(といっても、昨今の共闘ありきなウルトラシリーズでトリガーとデッカーが出てきても、恒例行事みたいでありがたみは無かったかもしれませんが)
結局のところ、ガイアの根源的破滅招来体はあんまり関係なかったみたいなんですが、これからもやってくるかもしれない有耶無耶のまま終わった根源的破滅招来体とは異なり、ブレーザーにおけるV99は地球人に攻撃の意思が無いことを理解させることで去っていくという終わり方でした。
V99が地球攻撃を開始したのは、地球人が宇宙船を先制攻撃してしまった事が原因なので、「あの時攻撃さえしなければ」という感情も生まれますが、あそこで攻撃をしなくても、遅かれ早かれいずれ何かしらの弾みで攻撃はしていたかもしれません。
また、V99の宇宙船から回収した技術をもとに作られたアースガロンがあったからこそ、V99に対してコンタクトをとることができたとも考えられるので、当時の行動がめぐりめぐって良い結果をもたらしたということなのかもしれません。
攻撃の意思が無い事を表明するために、武装解除したアースガロンとブレーザーが両手を上げて訴えかける戦闘シーンは、なんというか新しいものを感じましたね。
感動のエンディング
最終回だけあって、よい場面だらけでした。
傷ついた体でもなお戦おうとするブレーザーの意思を受け、テルアキ副隊長に「医官に絶対安静と言われたから一緒には戦えない」と噓をつき、ブレーザーと再び一体化して戦うゲント隊長。
(テルアキが後で医官にゲント隊長の事を尋ねたときに、「ゲント隊長来てませんけど」とか言われたらどうしよう・・・とか考えてソワソワしました)
すべての謎が解け、作戦本部で真実を話すエミ隊員。
戦いを終えて、修理を受けるアースガロンのVサイン。
エンディングが終わって、自宅に帰ってくるゲント隊長など、最後の戦いへの覚悟と、全てを終えた安堵感の入り混じる素晴らしい名場面が沢山詰め込まれた感動の最終回でした。
これまでのウルトラシリーズだと、ウルトラマンと分離したり光の国に帰って行ったりみたいな感じで”別れ”を意識した展開が多かった印象があるのですが、ブレーザーはそんな大袈裟な要素は無く、いつもの場所に帰ってくる形で幕引きとなります。
ちょっと物足りない感じはありますが、それがまたブレーザーらしいなとも思いました。
ウルトラセブン第16話「闇に光る目」
1968年1月21日に放送のエピソード。
ウルトラマン&怪獣手帳2025でははじめてのウルトラセブンです。
ものすごい良い回、というわけではないんですが、丁度良い具合の話でした。
地球人が飛ばした探査ロケットが侵略目的だと誤解されて宇宙人が攻めてくるあらすじは、一つ前のエピソードである第14~15話の前後編と被っているというのはよく言われる話ですが、構成や結末が全く異なっており、そういう面でも比較して楽しめます。
セブンにしては珍しく子供が主役の回で、どことなくライトな雰囲気はあるものの、薄暗い怪奇性やメカニック的な高質感など、ウルトラマンでは出せない味が映像からにじみ出ています。
これと言って目を見張る映像は無いんですが、ダンが地獄山の山頂に向かう途中で渡ろうとした橋が崩れる場面が、かなり迫力のあるミニチュア特撮でちょっと感動しました。
ダンを谷底に落とす段取りのためとはいえ、物語上必ずしも必要かと言われたらそうでもないのに、ちゃんと作られていて意表を突かれました。
岩石宇宙人アンノン(アンノン星人)
目玉だけの精神体アンノン星人が、依り代となる岩石に乗り移ることで誕生する怪獣。
岩石と言ってもゴツゴツした無骨なデザインではなく、芸術的な見た目をしているのが魅力的です。
顔もなんだかかわいいですね。
すごいスター性のある怪獣というわけではないんですが、妙にとっつきやすい見た目をしています。
動きもヨタヨタして愛嬌があります。
最初、アンノン星人と依り代となる岩石は離れ離れになっていて、岩石を拾ったヒロシ少年に、地獄山の火口まで岩石を持ってこさせることで怪獣となりました。
アンノン星人は、ヒロシ少年を「強い子にしてやる」という言葉で騙して連れてこさせたんですが、欲を言えばアンノン星人とヒロシ少年の関係性をもうちょっと掘り下げてみて欲しかった気もします。
アンノン星人が母星に帰るときにヒロシ少年に何か一言声をかける場面があったら、ヒロシ少年をただ利用したのではなく、本当に強い子にしてあげようと思っていた優しい宇宙人だったという印象に変わっていたかもしれません。
そういえば、ウルトラセブンって地球人に対して有効的な宇宙人って案外いないんだよなぁ、っていろいろ考えてたんですが、争いを話し合いで平和的に解決できた宇宙人ってアンノン星人が唯一なんですよね。
ペガッサ星人は平和的に解決できずにペガッサシティを爆破してしまったし、マゼラン星人マヤはダンの説得を受けるも自ら命を絶ってしまった。案外、セブンの世界ってシビアなんですよね。
本当の強さ
今回のラスト、「本当に強い子は、みんなと仲良くできる子なんだよ」というダンのセリフ。
キレイ事と言えばキレイ事なんですが、いい歳になった今だと深いなぁと思います。
案外、みんなと仲良くするのって難しいんですよね。
人間関係はトラブルがつきものです。
それなりに上手いこと当たり障りなくやっていくのは、まぁまだがんばればなんとかなるんですが、ちゃんと向き合おうとすると、いろいろ無理がでてきます。
頭に来たからと言って怒ったり文句を言ったりするのは簡単なんですが、感情的にならずにちゃんと話し合える器の広さと言うか、懐の深さと言うか、そういうのがダンの言う「強い子」なんだろうな、と思います。
それは、セブンの説得によって攻撃をやめて母星に帰っていくアンノン星人も同じなのではないでしょうか。
セブンとまともにやりあったら自分が倒されるかもしれないから大人しく帰ったのかもしれないし、セブンの事を本当に信頼しているから説得に応じたのかもしれない、その真意は本編では描かれていないので想像の話になりますが、一度振り上げた拳を降ろすというのもなかなか勇気がいることですからね。
アンノン星人も強いからこそ、説得を受け入れる懐の広さを身に着けていたんだと思います。
ウルトラマン第28話「人間標本5・6」
1967年1月22日に放送されたエピソードです。
面白いデザインのせいでコミカルなキャラクターとして現在も定着している三面怪人ダダが登場する回です。
ウルトラマンシリーズに限らずキャラクター物にありがちな話ではあるんですが、キャラクターが独り歩きし過ぎて、そのキャラクターがどういう性格・特徴なのかという、そもそもの出自をほとんどの人が知らないわけですが、ダダは特に世間的なイメージと劇中の扱いが乖離している印象があります。
それはウルトラマンをよく知らなかった頃の自分もそうだったわけですが、実際に本編を観てみると、ダダはとにかく怖いキャラクターであることがわかります。
どこからともなく音も無くフワッと姿が浮かび上がり「ダ~ダ~・・・」と不気味な声を上げながら迫ってくるんです。
怖いと思うと同時に、あのコミカルな顔も演出次第で怖く感じるんだなぁと感心したものです。
三面怪人ダダ
ダダは、カテゴリー的には宇宙人なんですが、ウルトラマンに登場する他の宇宙人(バルタン星人、ザラブ星人、メフィラス星人、ゼットン星人)に比べると、なんだか違う枠にいるような感じがあります。
能力的に強いわけではないので、一歩抜きんでているというわけではなく、むしろ弱い方なんですが、だからといって魅力が劣っているというわけでもない、不思議な立ち位置にいる宇宙人です。
私自身、ウルトラマンで宇宙人が出てくる回はどれ?と聞かれても、ダダの回だけは忘れてしまうくらいに宇宙人だと思ってないのかもしれないです。ダダに申し訳ないと思っています。
ダダは、三面怪人の名前の通り、3つの顔を入れ替えて、まるで3人いるかのように振舞う事で地球人を翻弄しますが、実際には1人しかいないので、ただ地球人を戸惑わせているだけで、それ以上の効果はあまりないです。分身して3人になれば、また変わったのかもしれません。
瞬間移動や壁抜けの能力がありながら、特殊合金の扉はすり抜けることができなかったり、格闘戦ではウルトラマンに敵わず、姿を消してもウルトラマンには居場所を見破られたりと、なんだかすごい間抜けな印象が強いです。
しかもウルトラマンにやられると、上司に「ダメだ、ウルトラマンは強い!」と泣き言を言ったりと妙に情けないキャラクターでもあります。
なんだかこうやって書くと見掛け倒しみたいでヘンな気分になるのですが、この怖いのか情けないのかよくわからない絶妙なバランス感が、予測不能な魅力を醸し出していて、実を言うとウルトラマン第28話は何回か観直して内容もほとんど覚えているにもかかわらず、「え、これどうなるんだろう?」みたいなソワソワした期待感みたいなのが毎回沸いてくるんです。
面白い宇宙人ですね。
白黒テレビでウルトラマンを観ていた時代
これは私くらいしか当てはまらないと思うんですが、ウルトラマン放送当時ってカラーテレビがそこまで普及してなくて、白黒テレビでウルトラマンを観ていた家庭も多かったという話です。
私の父親も、最初の放送は白黒でウルトラマンを観ていたと言っていました。
(そうなると、同時期に放送されていたマグマ大使やサンダーバードも白黒で観ていたという事になります)
と、いうわけで、白黒テレビでウルトラマンを観ていた環境を追体験してみようと思い、携帯電話のカメラ機能でモノクロフィルターをかけながらテレビ画面を観てみました。(今ならもっといい方法があると思うんですが)
チョイスしたのはダダが登場する第28話。
最初から怖い回なので、白黒で観たらもっと怖いだろうと思いました。
文字通り、ちゃんと怖かったですね。
当時は、お下がりで貰ったブラウン管テレビだったのですが、携帯電話のカメラフィルター越しに観ると、ブラウン管の走査線が走るので、それもまた怖さに拍車をかけていました。
ウルトラマン放送当時のテレビって、受信環境が悪かったりすると映像も乱れるのでダダの回は余計怖かったかもしれません。
当時の証言をもとのウルトラマンを敢えて白黒で観るなんてすごい熱心なヤツだなぁ、と自分でも思うんですが、実は白黒でウルトラマンを観たのはダダの回だけで、全39話をちゃんと観たわけじゃないんですよね。
ネットで聞きかじった話ではあるんですが、1970年代に入っても白黒テレビを使っていた家庭もあったという話なので、仮面ライダーやキカイダー等の70年代ヒーローも、敢えて白黒で観ると新しい発見がありそうですね。
ウルトラマンガイア第20話「滅亡の化石」
1999年1月23日放送のエピソードです。
ウルトラマン&怪獣手帳2025で、はじめてのウルトラマンガイアです。
ガイアと言えば、胸のラインが黒くなったV2と呼ばれる形態が一般的ですが、まだ2クール目なので胸のラインが赤いV1ですね。普通、ヒーローのデザインが途中で変わると、なかなか受け入れずらいものですが、1回でもV2を観てしまうとV1が凄い弱そうに見えてしまうくらいものすごいかっこいいのですごいですね。
胸のラインが黒くなっただけなのに、引き締まって見えて本当に良いです。
でも、今回出てくるのはV1ですからね。
絶対生物ゲシェンク
周囲の環境に応じて植物にも動物にもなれるアメーバ状の生物。
かつて恐竜を絶滅させ、卵の化石の中で生きたまま眠っていたが、今度は人類を絶滅させるために活動を開始。恐竜のような姿になって暴れまわった。
私がこの怪獣を初めて見たのは、講談社から発売されている「決定版 全ウルトラ怪獣 完全超百科」です。

ティガ~マックスまでの怪獣がまとめて紹介されています。
ページ数の都合、3面図が載っているような詳細な図鑑ではないんですが、オールカラーかつ大きめの写真で見やすく、沢山の怪獣が掲載されており、値段の割に非常に楽しめる本なので、かなり気に入ってます。
この本に掲載されているゲシェンクの写真がこれなんですが。

頭部に羽飾りみたいなのがついてるのと、前傾姿勢で顔が前に出ているせいで、頭でっかちに見えてしまうんですよね。
横から見ると全体のバランスはそんなにおかしくないので錯覚で見えてるだけなんですが。
あと、名前の割に・・・っていうのもありますよね。
絶対生物という大層な名前で、実際に割と大層な特徴を持っているのに、劇中で変身した恐竜の形で掲載されているので、設定を知らないとただの怪獣にしか見えないです。
変身する前のアメーバ状が本来の姿なので、そちらも掲載してほしかったかもしれません。
人類を絶滅させるために活動を開始したといっても、被害の規模はそうでもなかったのも惜しいところでした。
恐竜絶滅
劇中でゲシェンクは、繁栄した種族を滅ぼして地球上の生き物を調整するような存在であるとされているのですが、藤宮が都合よく解釈しているだけで実際のところはちがうんじゃないかな、と私は思っています。
かと言って、ゲシェンクが自己の生存のために活動しているとしたら、植物や動物など自由に形態変化する性質が、生き物としてはオーバースペックすぎておかしいというのもあります。
だからこそ絶対生物ではあるんですが。
SFとしては面白い設定だったんですが、1話完結のエピソードにしてしまったせいで「そういう設定の怪獣」止まりで終わってしまったような気がして勿体ないですね。どんな姿にも変わるので倒せない!!みたいなものすごい強いヤツだったら、また印象も変わったのかもしれません。
ウルトラマンレオ第42話「恐怖の円盤生物シリーズ!レオが危い!暗殺者は円盤生物」
1975年1月24日放送のエピソード。
ウルトラマンレオも3回目です。
なんだかすごい沢山レオを観たような気がしたんですが、現時点で同じく3回目のシリーズがウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラマンコスモスと3種類あるので、特別レオが多いというわけではないみたいです。
円盤生物アブソーバ
キノコとタコが合わさったような面白いデザインの怪獣です。
緑色の笠と赤色の本体というのが面白い配色です。
なぜだか和風な趣を感じますね。
私が初めてアブソーバを観たのは、例によって私が幼い頃に放送していた5分番組「ウルトラマンM730 ウルトラ怪獣攻げき技大図鑑」で、口から吐く火炎が得意技として紹介されていました。
円盤生物って無機質で不気味なヤツが多いのですが、このアブソーバはちょっと可愛げがありますね。
アブソーバの名前は、absorberから来ていますよね。
私は円盤生物の方のアブソーバを最初に覚えたので、アブソーバーという言葉を聞く度に、円盤生物アブソーバの事が頭に浮かびます。
ショックアブソーバーなんて言葉をはじめて聞いた時には、「円盤生物みたいな名前だな」と思ったものですが、ショックアブソーバーの方が語源なんですよね。
そう考えると、アブソーバは非常に身近な怪獣であると言えます。
優しさを利用するアブソーバ
今回登場する円盤生物アブソーバは、ケガをした動物たちを手当てする優しい少年ヒデユキ君の元に匿われ、夜間はヒデユキ君が動物たちを世話している小屋の中に潜伏し、日中に巨大化して街を襲撃するという行動をとっていました。
襲撃地点を結ぶと円ができあがるので、スグにゲンに隠れ家を見破られてしまうのですが、ヒデユキ君がアブソーバの事をひた隠しにするため、踏み込めないというところがハラハラします。
ヒデユキ君がアブソーバを匿う場面で流れるのBGMはM53。悲しみのテーマです。
円盤生物が少年を利用している恐ろしい場面なのに、ヒデユキ君に寄り添った選曲になっています。
ヒデユキ君の身なりはその辺の子供達と変わらないのですが、家庭事情などがわかるような場面が無く、もしかすると天涯孤独の身なのでしょうか。地球を襲う円盤生物でさえ匿おうとするヒデユキ君の優しさは、孤独感の埋め合わせなのかもしれないという奥深い内容だったと思います。
また、今回は炎を印象的に映す映像が多いです。
アブソーバの火炎でスズメが命を落としてしまう場面や、レオの攻撃で炎上したアブソーバの炎かアップになっていく映像だったり。
円盤生物によって消える命の儚さを物語っていると言えます。
ウルトラマンティガ第21話「出番だデバン!」
1997年1月25日放送のエピソードです。
前回の第20話は本放送で観ていましたが、この第21話は観た記憶がありません。
なんとなく観なかっただけかもしれませんし、同じ時間帯に別の番組を観ていただけかもしれませんが、思い返してみると第24話まで観た記憶が無いので、単純にティガに飽きてきて観なくなっただけかもしれませんね。
魔神エノメナ
このエノメナはものすごく怖いです。
異次元からやってきて、怪電波で地球人を互いに争わせる、という恐ろしいヤツなのですが、なんで地球人を争わせているのかわからなさすぎて怖いです。
ウルトラシリーズって、劇中で目的が明かされないまま地球を侵略しに来てる宇宙人って結構いるんですが、エノメナは別次元の生物であって、宇宙人ではないので、なんでわざわざ次元を超えてまでやってきて地球人を争わせているのか、本当によくわからないんですよね。
もしかするとエノメナの住んでいる世界では、惑星間航行をするよりも次元を移動した方が簡単なのかもしれませんが、なんでこう”別次元に住んでる”という設定なだけでこんなにも不気味に見えるんですかね。
しかもなんだかこのエノメナ、北海道から東京にかけて、デバンを追ってきているようなのですが、なんで追ってきているのかも本当によくわかりません。
デバンには、エノメナの発する電磁波を中和する能力があって、だからこそエノメナからするとデバンは邪魔なわけですが、すると今度は、じゃあなんでデバンはエノメナの電磁波を中和できるの?という疑問もわいてきて、エノメナとデバンの関係性もよくわかんないけど、”なんかそういうことだから”的な感じで話が進んでいくんですよね。
物語の主題としては、「怪獣のデバンが旅芸人一座と一緒に元気に暮らしている」という内容なので、旅芸人達とデバンの関係性が描けていれば、エノメナが何で地球人を争わせているのかを掘り下げる必要は無くて、それはそれで良いと言えばそうなんですが、なんだか説明不足に感じちゃうのは私だけなんでしょうかね?
ことわっておきますが、私は別に第21話を批判をしているわけではないです。
なんだか、ヘンな話だったなぁという不思議な意味で強烈に心に残る回だった、と思っているんです。
それはそれとして魔人エノメナってなんだったんでしょうね?
ある種、敢えて説明しないでボンヤリした状態で進めていくところに、ウルトラQ的なアンバランスゾーンを目指していたのではないか、という気持ちになります。
マスコット小怪獣デバン
TDGで初めての可愛い枠の怪獣です。
しかしながら、私はこの怪獣を、平成のピグモンを狙おうとして失敗した怪獣だと思っています。
スタッフはそこまで考えていなかったんじゃないかと思う気もするんですが、ソフビ人形が発売されていることから、一応マスコット枠として売り出そうとしていたような気配を感じるんですよね。
(なんだか実際の着ぐるみよりもソフビ人形の方が可愛いような気がします)
顔つきが結構ピグモンに似ているような気がします。
デザインが悪かったのか、劇中での扱いが悪かったのか、いろいろ考えてみるんですが、ピグモンもちゃんと見ると結構怖いデザインだし、劇中での扱いもそこまで良いかと言うと凄い微妙なんですよね。
ウルトラマン第8話に登場した時は、多々良島の観測所員を助けて食料を集めてくれたり、第37話に登場したときは、怪獣軍団の復活を科特隊に教えてくれたりと、かなり人間側の手助けをしてくれていたのですが、どちらの回もあっけなく倒されてしまうんですよね。
いや、でも、死んでしまったときは、ちゃんとお墓建ててもらったり、黙祷してもらってるから、むしろ扱いは良すぎる方なのかな。
デバンは、人間の手助けをしてくれているとは言え、エノメナの電磁波を中和することしかできないので、また別次元からエノメナの別個体が再登場でもしてくれない限り、活躍できないんですよね。
もしかすると、活躍の場が限定されてしまったのが、ピグモンになれなかった要因かもしれません。
2021年に放送されていた「ウルトラマントリガー」と、その後番組「ウルトラマン クロニクルD」では、総集編のナビゲーターとして登場しましたが、それ以降なにかあるわけでもなく、それっきりでした。
半年もテレビに登場するんだから、新作ソフビとして発売すればよかったのに、と今でも思います。
デバンが欲しくなった子はどうしてたんでしょうか。
ウルトラマンA第43話「冬の怪奇シリーズ 怪談 雪男の叫び!」
1973年1月26日に放送されたエピソードです。
ウルトラマン&怪獣手帳2025でははじめてのウルトラマンAです。
何気なくウルトラマンAって表記してますけど、アルファベットのAで無意識に”エース”と読んでいるので、なんか不思議ですね。
刷り込みってすごいですね。
吹雪超獣フブギララ
自ら起こした吹雪の中に身を隠しながら山村を氷漬けにしてしまう恐ろしい超獣です。
山奥に住む乞食老人と呼ばれる男に、獅子座第3星の生き物が乗り移ることで誕生したという設定なのですが、設定でそう言われているだけで、明確にそれらしい場面がありわけではありません。
なんだか吹雪に呑まれたと思ったら超獣になってたみたいな感じで、よくわかんないんですが、Aがフブギララを倒したら乞食老人が飛び出してくるので、ちゃんと超獣になっていたらしいです。
中に閉じ込められていたともとれるんですが。
ちなみに、さっきから”獅子座第3星”という言葉が出てきますが、これはTACの吉村隊員が言っていた事です。
なんでそんな事がわかるんだ、と気になるところですが、話の流れ的に「おお、そうなんだ」と納得してしまうのが不思議な説得力もあります。
しかし、このフブギララ、個人的にはどうにもイマイチな超獣だと思っています。
一つ前の第42話で登場する氷超獣アイスロンがカッコよすぎるせいで、どうしても見劣りしてしまうんですよね。
雪山が舞台のエピソードが2話連続で続くせいでどうしても比較してしまうんです。
フブギララは顔がちょっとブサイクなんですが、ブサイクなわりに造形は良いんですよね。
上手にブサイク加減を表現できているというか。
あと、なんといっても戦闘シーンが単調なんです。
ソノラマカバー版の主題歌が戦闘BGMとして流れるので、ちょっといつもと違う雰囲気ではあるんですが、殴って転がって蹴って転がってみたいなのを延々繰り返すので、もうすこしなんとかならんかったのかと思ってしまいます。
これまた比べてしまうことになるんですが、第42話のアイスロン戦は、Aが山肌に叩きつけられて雪がなだれ落ちてくるとか、とっ組み合っているうちに谷底に転がっていくとか、上下前後に奥行きのある面白い戦闘シーンだったこともあって、フブギララ回はどうしても、本当に、なんとかならんかったのだろうか、と妙に応援したくなるような絶妙さがあります。
冬の怪奇シリーズ
ウルトラシリーズ特有の”〇〇の怪奇シリーズ”です。
(仮面ライダーでもたまに”怪談”とか”怪談シリーズ”とかやってましたが)
幼少期はこの”怪奇シリーズ”という表現が本当に嫌で。
なんというか、「怖いお話を作りましたよ~」と、フィクションであることを前面に押し出さている感じがして、却って格を落としに行っているようにみえて、どうしても好きになれませんでした。
歳をとってくると、視聴者の興味を惹くためにわかりやすくしているのだ、とかいろいろ察せられるようになったので、今はそこまで嫌というわけではなく、時代の風物詩を受け入れられるようになりました。
むしろ、最近はウルトラマンも仮面ライダーも、〇〇シリーズとかやらないですからね。
さて、ウルトラマンA第43話はどの辺が怪奇なんでしょうか、という話になるんですが、フブギララの吹雪で山村の人々が氷漬けになってしまうんですね。
電気の点いた部屋の中でコタツを囲んでいた家族が、そのままの姿で凍結しているところなんかは、生活感と非日常感が両立していてショッキングな映像でした。
レギュラーキャラクターのダン少年も氷漬けにされているところはちょっとやり過ぎじゃないかと思いますが、物語の終わり方も清々しい感じで終わるので、そこまでものすごく怖い回というわけではないですね。
さいごに
なんだかこの週は骨太な回が多くて楽しめた反面、熱も入ってしまってものすごい時間がかかってしまいました。
毎日ウルトラマンを観ているだけなのに、もう次の1週間で1月もおしまいです。
長いようでアッと言う間の1週間でしたが、こんな感じで365匹の怪獣たちと一年間を楽しめたら最高ですね。
私は個人的に、2025年を最高の一年にしたいと思っているので、2026年になってから、この記事を読んだときに素晴らしく感じることができるといいなと思っています。
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