第3話「魅入られた少年」
火炎飛竜ゲルカドン登場
ジミー少年の飼っているトカゲが、ゴーデス細胞の影響で怪獣化したものです。
このゲルカドンという怪獣。とてつもなくカッコイイんです。
幼稚園児の頃は何故かっこいいのかよくわかっていなかったんですが、今考えるとファンタジーRPGのドラゴンをそのまま怪獣にしたようなデザインをしていたのが、子供心に響いたんだと思います。
ウルトラ怪獣シリーズのソフビ人形も割とビッグサイズで迫力がありました。
しかし、劇中では宙に浮いているばかりでグレートと直接格闘する場面が無かったのが、ちょっと勿体無かったです。
ストーリー
物語の方はというと、ゴーデス細胞が一般人の少年に取り付いてしまう、という通常回のような雰囲気ですが、人間の精神力がゴーデス細胞を打ち破ることができる、という今後の展開を意識した結末になっており、縦軸の話への関連性が設けられています。
孤児院という小さな舞台ではあるものの、少年を通じてオーストラリアの日常が描かれているのも良いですし、そこにジャックを神出鬼没に登場させることで日常から事件への導入をスムーズにしているのも良かったです。
難点はと言うと、結末がよくわからないというところでしょうか。
私は事前情報で、ジミーが死んでしまう事を知っていたので「まぁ、そういうことなんだろうな」と思いながら観てましたが、劇中ではジミーがどうなったのか明言されていないので、”ゴーデス細胞を克服したゲルカドンの背に乗って飛んで行った”事しかわかりません。
一応、セリフで「人間を越えた」とかなんとか言っていましたが、このセリフも凄くわかりづらくて、話の流れで解釈すると、”人間とは違う別の存在になった”と言いたいんだろうなという事はわかるんですけど、ミニマムに解釈すると、”ゴーデス細胞に勝てる強い精神力を得た”くらいの見方もできるわけです。
この辺は、エンターテイメントアーカイブ(写真中央)のシナリオ回顧録でも触れられているので、私の読解力が足りないとか、そういうわけではないと思いたいです。

でも、よく考えたら、ジミーは”人間を越えた生命体に進化した”のであって、死んだわけではないんですが、もう同じ人間の世の中で生きているわけではないので、そう考えると人間社会的には死んだことになるんですかね。哲学的ですね。
ウルトラマンG対ゲルカドン
今回、ウルトラマングレートとゲルカドンの戦闘シーンは、遠距離攻撃の応酬となっていて、直接グレートとゲルカドンが取っ組み合う場面はありません。
ゲルカドンがビームを撃つと、映像が切り替わってウルトラマンが腕の一振りでビームを弾く映像が流れる、という感じで、出来事としては繋がっているのでおかしくはないんですが、ウルトラマンと怪獣が同じ画面に収まっている映像が2カットくらいしか無いので、イマイチ没入感が無いです。
戦っている相手がゲルカドンしかいないので、ゲルカドンの攻撃を防いでいることはわかるんですが、「これ編集次第ではどの怪獣と戦っててもいいわけじゃない?」みたいな、メタ的な違和感が頭に浮かんできます。
アニメだと攻撃する側と受ける側が別の画面でもあんまり違和感が無いのに、実写特撮になると違和感が出てきてしまうの、不思議ですね。
そもそもの話で、ゲルカドンは全編パペットのみで、ウルトラマンと格闘するための着ぐるみが存在しないからなのですが、戦闘シーンの映像表現・手法としては面白かったと思います。
また、今回はミニチュアセットが、パペットのゲルカドンに合わせたサイズしか用意されておらず、ウルトラマングレートはミニチュアの無い夜空をバックに光線技を撃ち続けたり、ウルトラマンの背景に夜景を合成した状態でアクションさせる、と言った独特の映像をしています。
古くから特撮にはスクリーンプロジェクションと言って、巨大スクリーンに映し出した映像の前で俳優さんを演技させる手法があるんですが、それをウルトラマン側に導入するなんて面白いアイデアだと思いました。
もっとも、そのせいでウルトラマンが映像的にチョット浮いてる気がするのが残念というかなんとうか。
今回のグレートは、第2話に続いてマグナムシュートを使って怪獣を倒します。このマグナムシュートは、敵の攻撃を吸収して打ち返すという技なんですが、第2話だと何をやっているのかわかりづらかった反面、今回はゲルカドンの火炎放射を掌の中に集束させて火の玉を作って投げるという表現になっており、何が起こってるのかわかりやすかったです。
マグナムシュートはこの先も何度かトドメ技として多用されますが、どんな技を跳ね返すのかで演出が変わったりするので、毎回意外性があって楽しいです。

